彼の名前は「チャールズ・ヘンリー・ダラス」
「米沢牛」を世に広めるきっかけを作った英国人である。
明治4年当時の県令(県知事)並みの破格の給与で
旧藩校米沢興譲館洋学舎(現米沢興譲館高校)へ迎えられ
英語(洋学)などの教鞭をとることになります。
また、日本にはなかった近代スポーツも紹介したそうです。
明治8年任期を終えて横浜の外国人居留置へ帰る際
米沢からメス牛1頭を連れて帰ります。
そして、英国人仲間にご馳走したところ
その美味しさに感動し「米沢牛」が一躍有名になるきっかけを
つくることになるのです。
まさしく「米沢牛の恩人」である。
写真は平成19年10月6日米沢松岬公園に
建立されたダラス顕彰碑です。